再び検察審査会の人権侵害について
今回、検察審査会は小沢氏に対して強制起訴を議決したが、素人の私から見て、その
公表された審査会の議決書の内容は、どうも腑に落ちないものがある。
第一の理由は第一回目には審査対象となされなかった「4億円の金の動き」事案が追加さ
れ、審査対象が勝手に拡大され、それに言及されていること。
これって相手に背中から不意打ちを食らわすものだ。フェアじゃない。
第二に誰が見ても起訴相当と思える新しい証拠を審査会が見出したならばともかく、その
提示がないこと。
差戻された検察庁は二度とも刑事事件たりえないと判断し不起訴処分を下した。
これは法と証拠に基づく(疑わしいだけでは、起訴できないという)専門家の判断であり、
法治国家として、とりわけ基本的人権の制限にかかわる刑事裁判には慎重であるべき
だという法の要請が働いていると思われる。
このような見方からすれば、検察審査会の一連の判断はあまりにもアバウトであり、
「疑わしければ起訴せよ」の姿勢で、あるいは最初から「起訴ありき」で審議が行われた
のではないかと疑わざるを得ない。
証拠の見当たらない強制起訴の議決を、もっともらしく見せるために、取り繕うために(嫌
疑をことさら強調するために)審査対象を追加したとしか思えない。
小沢一郎というネームをとり、政治家というラベルを外して、一市民として一人の人間と
して彼を捉えたときどうだろう。
このようなアバウトな理由で検察審査会は市民を強制起訴の対象にしうるのであうか。
検察審査会が主権者たる国民の司法参加という理由で検察庁に優越し、国民の声、国
民の判断として尊重されるものであるならば、審査会に要求されるのは検察庁以上の
法に基づく判断であり、人権に対する深い配慮ではないだろうか。
「裁判で決まるまでは有罪でも無罪でもない」という人もいるが、そういう人は一度、刑事
裁判の被告人になってみるといい。
しかも、今回のような検察審査会の強制起訴のように・・・審査対象以外の事案が考慮さ
れ、新しい証拠の提示も無く・・・疑わしいという理由だけで起訴された被告人に。
三審制が保証されてる?それは何十年も続くということをも意味してるのだ。
証拠のない嫌疑だけで起訴された延々と続く裁判に耐えられるかな。
最終的に無罪になるとしても。
何度でも言うが有罪と認定できる十分な証拠のない、嫌疑だけの起訴は冤罪の温床な
のだ。人権侵害のなにものでもないのだ。
今回の小沢氏に対する検察審査会のありようは私には国民を代表した良識を反映した
ものというより、中世の暗黒裁判の諮問委員会の様相を呈しているようにしか見えない。
今回の審査会の議決に大変危険なものを感じるのは私一人だろうか。
世論は流れるが、決して見逃してはいけないものがあると思う。
それは歴史がその苦い経験から我々に教訓として与えたものだ。
それは
一人の基本的人権の侵害を見逃すな、見逃せば国民全体に広がるという警告だ


最近のコメント